昭和46年01月07日 夜の御理解



 よく武者小路さんが書かれます絵にね、かぼちゃと、かきゅうりなんかを掲げてね、よくあの書いておられます。仲良き事は美しきかなと言ったようなね、まぁ私しはこの仲良い、仲良くしておると言うほど、あの祈るものは無い夫婦、親子、兄弟、もう当然仲ようなからなければならん筈なのに、もういつも夫婦喧嘩をしたり、又は兄弟仲良くなかったり、致しますが、もうほんとにあの兄弟が仲よう、しておる夫婦が仲ようしておると言うそういう姿。
 私しここであの、お取り次ぎさして頂く時に、夫婦揃うてとかね、兄弟揃うて「いやぁ、今日は一家中揃うてお参りがでけたね」なんて言う時ほど有り難い事と言う事は無いですよね。もう親は親、子は子と言うような事でね、(  ?  )親子揃うて、あの神様の方に向こうて行くと言う真の心、だからまあ当然と言えば当然、兄弟とか夫婦とは一応仲ようしておるといたしましてもです、お互いの心がね。
 これはどんなに同じ兄弟でも、私しごと違う場合がありますけれども、勿論自分の心が、和やかである時はどのような事でも、調和いたしますけれども、なかなかいつも和した心と言うか調和した心と、言った様なのはないのですけれども、どうでもひとつ私し共信心さして頂く者同士だけでもね、一つあの仲良うしていきたいなと思いますね。それは神様に向かうと言う事において同じ、ところがその生き方が違ってくる。
 今日も総代会の中でそんな話が出たんですけれどもね、12人いますとやっぱそれぞれの意見があって、何かこう座ったらお互いにあの、高芝さんなんかと堤さんなんかは、いつも何かこう「あんたがそんな事言うけんいかんたい」と言ったような事になってくるんです。だからどう言う事であろうかと、結局しかしこの12人しかおられない12人の中にですね、さほど言うならやはり、堤さんもおっておられなければならない人、高芝さんも尚更おっておられてもらわなん人。
 だから神様からご覧になると同じなんです。だから神様へ向こうていく心がね、揃うとらん所にあんな人が、おるじゃないかと言う風なもんですけどね。とにかくまあ「仲良い事は美しきかな」まして親戚家族、我が兄弟はなおさらのことですけれども、信者同士信心のある者同士のね、私しは和と言うような事をこう、例えば認識して仲良うしていくと言うんではなくて、神様に向こうてその一点において、同じだと言う事になればね、私し仲良う出来るのじゃないかと。
「仲良き事は美しきかな」ほんとに私しが信者同士、合楽の場合なんかその( ? )大体美しい方なんですけども、それでもまあ時々まあ、皆あたしの信心はと言ったようにこう、ま、いかにもにらみ合った感じも、起きるような事があるんですけれどもね、どうでも一つ、仲良き事は美しきかなを、全ての事の上に、全ての人達の上にそう言う心の状態で、あられるおかげを願わしてもらわなければいけないですね。
   どうぞ。